ある晴れた夏の日に 第九章「それから」

二人は松本城の堀部を歩いている。
さっきまで城内を見て回っていた。城の最上階には急な階段を登るが、ミニスカートを気にしながらも舞は楽しそうに見物をしていた。
堀部の道端を歩いていると、舞が「落としてあげようか」とクスクス笑いながら、腕を組んで歩く体勢を少し誠に向きながら詰め寄った。

「ほら」「ほら」

と言って、誠を押しながら誠の表情を見て楽しんでいる。

「ちょっと、二人とも落ちちゃうって」

堀の淵まで押された誠は慌てて声を上げた。舞は押すのをやめて、クスクスと笑い続けている。

「もう、意地悪だな」

と言いながら、誠も笑った。
そしてまた二人は寄り添って歩き出した。

この日誠は、舞と会うのをこの日限りと決めていた。この世では舞と共に歩む未来は無いのだから、遠く離れたところから舞を愛して、幸せを願っていれば良いのだ。会えば、またいつ感情が揺れはじめるか分からないのだ。それだけ誠にとって舞は特別な存在なのだ。いつ誠の理性を壊すともしれなかった。
二人は駐車場に向かって歩いた。

「あのね」

と、舞が話し出した。

「今、付き合っている人から結婚を申し込まれているんだけど、妻子がいる人で、奥さんと離婚の話し合いをしているらしいの」

誠は「そうなんだ」と相槌を打った。舞の話に驚くことは無かった。

「舞の病気の事も話したんだけど、それでも構わないって言うの」

誠は、病気という言葉を聞いて、やはり舞の病気は進行しているのだと知った。

「アタシは、別に結婚してもしなくっても、どちらでも良いんだけどね」

舞の話に誠はまた相槌を打った。
舞は「うん」と言って話を終わらせた。
駐車場に着いた。
誠は舞に顔を向けた。

「私の舞に対する気持ちは何も変わらない、舞が幸せになってくれる事を一番に願っているよ」

舞は微笑んだ。

「アタシは、誠さんのような男性に会ったのは初めて」

舞の言葉に「うん」と答えた誠だったが、その言葉の意味は分からなかった。

「じゃあ帰ろうか」

誠の言葉に舞は頷いた。
お互い車に乗り込みエンジンを掛けた。誠が先に料金所に向かって、舞も後に続いた。料金所の前には係の者が居たので、誠は支払いを済ませて先に駐車場を出た。舞も続いて料金を払う。その時になって誠はアッと気がついた。「俺はなんて気が利かないんだ」と誠は後悔した。二台分の料金を渡せばよかったのだ。舞が駐車場を出たのを確認して誠は車を走らせた。
高速道路インター手前のバス停で誠は車を停めた。舞も同じように停めた。国道百五十八号線は車の交通量も多い。誠は車を降りて舞の車に駆け寄り、ドア越しで挨拶を交わした。

「舞、最後にキスをしていい?」

交通量の多い国道を行き交うドライバー達の目が自然と二人に注がれる。舞は一瞬戸惑ったが「いいよ」と明るく答えた。
誠は舞にキスをした。そして舌を絡ませた。

「それじゃ元気で」

キスを終えた誠はそう言って舞と別れた。

誠は帰りの車の中で、今日の駐車場で舞の料金を払わなかった事を自分自身に責めた。

「俺は気が利かない、これじゃダメだ、これを挽回する為にもう一度舞に会う必要がある」

と自分に言い聞かせた。そして、自分のホームページの掲示板に「あなたともう一度会う必要がある」と書き込んだ。
数日後、誠のホームページの掲示板に無記名で「何故」という書き込みがあった。この頃には個人ホームページの流行も過ぎていて、ほとんど誰も誠のホームページに訪問をする者が無かった。書き込んだのは、舞に違いなかった。誠は掲示板に「その理由は次に会う時に」と書き込んだ。

それから一年が過ぎた。舞は誠に結婚の報告をした。そして次の年に舞は男の子を産んだ。幸せそうな舞に誠も嬉しかった。
その二年後、舞は慢性白血病の治療の為に体内の血液を入れ替えたと連絡をしてきた。

「血液を入れ替えたら
B型がA型に変わってしまった」

と誠にメールをしてきた。

「血液型が変わった事で家族から性格が優しくなったと言われている」

とも聞いた。誠は舞の優しい一面しか知らない。普段の舞がどんなだったのかと興味が出て少し笑えた。舞が元気そうなので、誠は安心する事が出来た。

それから数年後、東北で震災が起こった。誠と舞は、東北に住むお互いの友人の安否を心配し合った。この頃には舞との連絡も半年に一度くらいになっていた。そして次の年の春先、誠は舞にメールをした。

「そろそろ舞の大好きな桜の咲く頃だね」

しかし、舞からの返信は無かった。
舞の携帯電話から返信が来たのは、それから半月が過ぎた頃だった。相手は舞ではなかった。

「母、磨理子が生前にお世話になりありがとうございました。母は亡くなり、葬儀を終え、埋葬いたしました」

と送られてきた。送ってきた相手は、あの年に小学一年生だった舞の息子であった。
誠は悲しみに包まれて、拭っても拭っても涙を止めることが出来なかった。涙でボヤけた画面を見ながら「ご冥福をお祈りします」と打ち込む間、悲しみを堪える口から堪えきれない声が「ぐぐぐ」と漏れた。
舞の本名は磨理子だったが、そんな事はどうでも良いことだった。
舞の死は誠にとって大きな悲しみだった。しかし、
こればかりはこの世の常だと受け入れるしかないと理解していた。
季節は桜が満開になっていた。

それから十数年が過ぎた現在。どこを調べても、誠と舞の記録は無い。個人ホームページはサイトの事業変更でホームページ運営から撤退し全てのホームページは削除された。パソコンでチャットをしていたサイトも、そのメッセンジャーサービスを終了していた。サイトのサーバに保管していた沢山の舞の画像も全て消去されている。残っているのは、誠が持っている記憶だけだった。その誠だが、誠という名前は本名ではない。
磨理子が舞と名乗ったように、私も誠と名乗った。
私の舞への思いは今も変わらない。もう一度会わなければならない私の使命は、来世への因縁として持ち越すことにした。ただ、私が死ねば二人の関係は何も残らない。そこで私はこの記憶を物語として此処に書き記したのだ。

目を閉じれば、あの観音様の下で今も二人が寄り添って笑い合っている。私にとってあの場所は二人の聖域なのだ。この先で私があの地へ訪れることはもうないだろう。
全ては記憶の中

ある晴れた夏の日のこと
まだ人の訪れの少ない明け方の観光地をあの人と二人で歩いた

もう二十年以上昔の遠い記憶。

この物語は全てフィクションです

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あとがき