ある晴れた夏の日に 第八章「再会」

三年の月日が過ぎた。
誠は平穏に日々を過ごしていた。舞との関係も穏やかな気持ちで保てていた。ただ、出会った頃のように心の高揚を楽しんで頻繁に連絡を取る訳ではなかった。目を閉じればいつも側にいると感じる事で穏やかな気持ちを維持していた。たまに不安になると、何気ない文面のメールを送り、舞からの返信を受ける事で「繋がっている」と、気を落ち着かせた。連絡は一月に一度取る程度だった。
舞を求めることはしない、忘れることもしない、平行した世界でも存在さえ確認出来れば誠は満足だった。また、そんな形でしか舞との関係を維持することが出来なかった。

この三年の間、舞の病気も症状が落ち着いているようだった。実際のところは判らないが、舞から病気の話を聞いてはいなかった。舞はあれから何人かの男性と付き合っては別れていた。今、付き合っている男性がいるかどうかは聞いてはいない。誠にとって、舞が他の男性と付き合う事に何の抵抗も嫉妬さえ無かった。舞が幸せであれば誠も幸せだし、舞の喜びは誠にとっても喜びだった。誰かと付き合う事で癒されているなら、それが望ましいと思っている。

そんな誠ではあったが、ただ一つだけ胸に引っかかっている事があった。それは、舞と会った日に舞から届いたメールの「お腹が空いた」という言葉だ。あの日、ホテルで寝過ごしたとはいえ、気の利かなかった自分が今も許せないのだ。「もう一度会って食事をしなければならない」そう思い続けている。
そして、それを行動に移す事にした。
誠は舞に「今日、電話をしても良い?」とメールで尋ねた。午後の三時を過ぎた頃だった。
舞から「一時間後に掛けてくれたら出られると思う」と返信がきた。
一時間が経った。舞と電話で話すのは三年振りになる。高鳴る胸の鼓動に一度深呼吸をしてから舞に電話を掛けた。何度かコールしても出そうになかったので一度切ろうと思った時に舞の声が聞こえた。

「良かった。危うく電話に出れないところだった」

舞の明るく弾んだ声。そして甘えた様な可愛い声。久しぶりに聞く舞の声に、誠の鼓動が一層に高鳴る。
お互いに久しぶりだと挨拶を交わした後に、誠は本題に入った。

「ねぇ舞、今度一緒に昼食でも食べない?」

「うん、良いよ」

舞は理由も聞かず、迷いもせずに返事をした。
誠は長野県松本市で会うことを提案した。誠が滋賀県を朝に出発して、昼に落ちあえる距離を考えると松本市が都合が良かった。ただ、その場合は舞も高崎から二時間ほど移動しなければならない。
舞は「それで良い」と快諾をした。
そして、日程を話し合った。

当日、待ち合わせに指定していた松本城の北側にある駐車場に誠が着いたのは、待ち合わせの時間よりも十分ほど早かった。百台ほど収容できる駐車場には、平日とはいえ半分以上が埋まっているようだった。
駐車場の出入り口近辺には空きスペースが無かったので、誠は仕方がなく駐車場の奥へと進む。舞の車を確認してみたが、まだ来てはいない。
誠は駐車場の出入り口が見える場所を選んで車を停めた。誠はこの日、レンタカーを借りて乗って来ていた。十一月の良く晴れた青空から差してくる太陽の日差しが、車内で舞を待つ誠の目にも少し眩しさを感じさせた。
程なくして、舞が乗るクーペが駐車場に入って来た。前に会った時には黒色だったが、赤色の物に乗り換えていた。舞は誠を探すように左右を確認しながら進んで来る。誠は車から降りた。やがて舞は誠を見つけて、誠が駐めている横のスペースに車を駐めた。

「ちょっと待ってね」

車から降りた舞はそう言って反対側の助手席のドアを開けてシートに腰を下ろした。そして、履いてきた靴を助手席の足元に置いてある黒革のブーツに履き替えた。

「お待たせ」

舞は、赤地に黒のチェック柄のミニスカートに、黒のブラウスを着合わせていた。黒革のブーツの下には網タイツを履いていた。誠の服装は前日に衣料品店で適当に買ったスラックスとセーターを着ていたので、二人の格好が少しアンバランスに感じた。

「じゃあ、行こうか」

誠が乗って来ているレンタカーに二人は乗り込んだ。
車を走らせながら誠は舞に、プレゼントがあると言った。

「ダッシュボードを開けてみて」

そう誠に言われて、舞はダッシュボードを開けた。中には包装紙に包まれたプレゼントが用意してあった。

「開けてみて良い?」

舞は嬉しそうに誠の顔を見て言った。

「大した物では無いよ」

そう言って誠は笑った。
包装紙を開けて、長細いケースを開けると、中にはキャップ式のボールペンが入っていた。ピンクのコーラル柄のセルロイドで作られた特注品だ。キャップ部分には「Mai」と掘られている。

「お揃いなんだ」

誠はそう言って、リアシートに置いている手提げバックを取り、中から同じ柄のボールペンを出して舞に見せた。

「本当だ。ありがとう」

舞はボールペンを気に入って喜んだ。

誠は、予約を入れている料亭に車を向かわせた。まるで土地勘の無い誠だったが、記憶した地図を辿り、迷うことも無く車を走らせた。
松本市を見下ろせるほどの高台にあるその料亭は、大きな敷地に立派な庭園を持っていた。店の駐車場に車を駐めて、建物の右手に見える庭園を眺めながら歩く。手入れの行き届いた庭は清々しさを感じさせた。和風造りの料亭の玄関は、両引きの格子戸になっていて少し品格を感じさせた。
誠と舞は格子戸を開けて中に入った。途端に「いらっしゃいませ」と仲居が出迎えた。薄い青色の着物姿の仲居は四十代後半に見えた。品のある顔立ちで愛想が良い。誠は予約した名前を言って「お世話になります」と告げた。玄関の上り口で靴を脱ぎ広間に入った。左手前にある事務室から料理人風の男数人が顔を出して「いらっしゃい」と二人に声を掛けてきた。誠は「こんにちは」と挨拶をした。

誠は、自分と舞のアンバランスで年の差のある二人が、従業員達にどう映っているのかと考えると、内心可笑しくなってきた。差し詰めアイドルとマネージャーの様に見えたのかもしれない。誠は思い巡らせた。
仲居は「どうぞこちらへ」と先に立ち案内をした。料亭の通路を進むと、右側に岩造りの池があった。勢いのある水の音に目をやると滝が流れている。手入れの行き届いた庭園といい、館内の滝といい、趣向を凝らしていて趣を感じさせた。

「滝があるんですね」

二階に上がる階段を進みながら、誠は仲居に声を掛けた。

「そうですね。ここは元々料理旅館でしたので、温泉もございますよ」

と説明を受けた。
通された部屋は十畳ほどの和室で、正面の床の間には掛軸と花が生けられていて、見る目を楽しませてくれた。部屋の中央に置かれたテーブルには膳の用意が出来ていた。

「それでは、お料理をお運びしますね」

仲居は挨拶をして部屋を出た。
誠と舞はテーブルを挟んで座る。そして、久しぶりの再会を楽しんだ。料理が運ばれる度に気付くこともあった。

「この料理に七味唐辛子を掛けると美味しそう」

とか、舞は何にでも七味唐辛子を掛けるのが好きなのがわかった。信州牛のステーキが焼き上がった時には、肉は歯応えが嫌で食べないのだと聞いた。誠は舞と知り合ってもう数年が過ぎていたが、実際には舞の事を何も知らないのだと気付かされた。
最後に運ばれてきたデザートを食べ終えて、舞は誠に聞いた。

「これからどうします?」

この丘の上の料亭の登り口にモーテルがあったことを来る途中で二人は見て知っていた。しかし、誠は舞を抱くつもりは無い。ようやく舞との関係も穏やかな気持ちを保つ事が出来ているのだ。また舞を抱いてしまえば苦しまなければならない事を理解している。決して交わらない平行線のまま、これからも舞を愛していたいのだ。

「松本城に行ってみない」

舞は誠の返事が予想外だったような顔を一瞬見せたが、直ぐに笑顔で頷いた。
二人は部屋を出て階下に降りた。事務室で支払いを済ませて、玄関口で靴を履く。舞はブーツを履くのに少し手間取った。その間に従業員達が見送りに玄関に集まってきていた。舞がブーツを履き終え、二人が格子戸から出て行く時に、従業員達が「ありがとうございました」と声を掛けた。誠はまた、この人達は二人のことをどんな関係だと思ったのだろうと考えて可笑しくなった。

元の駐車場に戻った二人は、腕を組んで松本城に向かって歩いた。

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第九章「それから」