ある晴れた夏の日に 第七章「忍ぶ」

誠を苦しめているのは、自分でコントロール出来ない舞への思いだ。家庭や家族が大切で、それらを守らなければいけない事を誠は分かっている。そして、舞を求めて、仮に舞が誠の愛を受け入れても、理性によって誠自身が引いてしまう事も自分で分かっている。そこまで理解が出来ていても舞を求めてしまうのだ。

「あの日、舞を抱かなければ」

「顔を見るだけで帰っていれば」

「そもそも会いに行かなければ」

しかし、誠はこれを運命として受け入れた。運命である以上、舞は特別な存在である。もしかすれば前世からの因縁なのかもしれない。来世で、また巡り逢って一度切りの契りを交わす。そんな因縁で結ばれているのだろうか。この世でのこの思いは、もう届きはしないのか。誠は苦しみの中で自問自答を繰り返した。

一生忍んで思い死ぬ事こそ至極の恋

誰かから聞いた「葉隠」の一説を誠は思い出した。ただ、自分には到底出来ることでは無いのは分かっている。それでも、この舞への思いを一生忍んで死ぬ事が出来れば、来世への因縁に繋がるようにも思えた。

「そうだ、あの人を求めてはいけない、あの人を思う私の気持ちなど、あの人には一切関係の無い事なのだ。私だけの胸の内に止めなければいけないのだ」

誠は答えを出した。そして、この心境を舞にもメールで知らせた。

「私の舞への思いは変わらない。でも、私は家庭を捨てられず、君を求める事が出来ない。舞も家庭を壊すような男をきっと好きにはならないだろう。舞への思いは私だけの問題だ、もう君に迷惑はかけない」

舞からの返信は無かった。
季節は、もう秋になっていた。

誠は舞への思いをコントロールするように努めた。穏やかな気持ちで舞を愛せるように。それは容易い事ではなかった。幾日か思いをコントロール出来ても、周期的に舞への強い思いが込み上げて、誠の心を苦しめた。
ある日、誠は夢を見た。
深夜、緩やかに下る大きな道路を車で走っていた。車には誠が一人きり。運転をするでもなく、トラックの荷台にでも乗っているような感覚で、ただ道路を進んで行く。道路は左に大きくカーブをしている緩やかな下り坂。道路沿いには街灯が灯り、街並の灯がカーブの内側に点々と見えていた。カーブをしている下り坂の先には橋が掛かっている。大きな橋だが暗闇で川は見えない。橋の手前に交差点があった。信号機の無いその交差点を左折した。しばらく走ると道は二股に分かれた。誠は左に進んで行く。やがて一軒の家の前に着いた。夜はもう明けていた。家は広い敷地の左奥に建っていた。木造造りの三階建に見えた。その向こうは雑木林だ。次の瞬間、誠はもう建物の中にいた。小さな部屋の窓際に立っている。部屋の入り口には婦人がいた。婦人の側には小さな男の子もいた。入り口から舞が驚いた表情をして入って来た。婦人は舞の母で男の子は舞の子供だった。舞は誠の顔を見て、やがてそっと悲しそうに微笑んだ。その微笑みには哀れみがあった。誠が家庭への責任を捨てられない人間だと舞は分かっている。自分の家に来るはずが無い事も知っている。その誠が、突然舞を訪ねて来て。申し訳なさそうに部屋の中に佇んでいる。舞は誠のその突発的な行動に哀れな人だと思ったのだ。その哀れみの表情を見た誠は、また苦しみの世界に落ちて行く。
誠は目を覚ました。目を覚ます前からこれが夢である事に気付いていた。誠は目を覚ましたあとに深い溜息をついた。

周期的に込み上げる舞への思いに苦しむ時、一度香川県に住むメル友にその苦しみを打ち明けた事があった。誰かに聞いてもらわなければ、もう誠は精神的に耐えられなくなったのだ。答えが欲しい訳ではない、答えはもう出ているのだから、ただ自分の苦しみを誰かに聞いてもらいたかった。
メル友に打ち明けた事で、誠は少し気が楽になった。周期的に襲う苦しみも、その間隔が開いていくように感じた。

秋も深まってきた頃、少し精神的に落ち着いた誠は舞にメールを送った。

「そろそろ紅葉の季節だね」

ただ一言だが、これだけで十分だった。舞からの返信を受け取れるのならどんな内容でも良かった。
舞から返信が届いた。
舞は入院をしていた。慢性白血病の治療を受けると言った。

「臍帯を使った治療を受けるの」

舞は少し病気の事を話してくれた。舞はこれまでに自分の病気の事はあまり話さなかった。誠も聞かなかった。たまに「あ、鼻血が出た」と言っていたりした、実際のところは体調が思わしく無かったのかも知れなかった。舞が慢性白血病と診断されてから、もう半年以上経っていたのだ。
舞は話題を変えてきた。

「また、新しくホームページを作ったよ」

舞はそう言って、ホームページのアドレスを教えてくれた。誠は早速舞のホームページに訪れた。新しいホームページは『兎』の時の華やかで楽し気な感じではなかった。黒を基調とした暗いイメージで作られていて天使とか悪魔などを連想させるようなデザインだった。舞は普段から明るく振る舞ってはいるが、病気に対する不安がホームページのデザインに表れているのかもしれない。誠にはそう思えた。
数日後、誠はまた舞にメールを送った。

「もしも時間があったら、私のホームページも作ってくれないか」

誠は取得したホームページのIDとパスワードを舞に教えた。

「それじゃ、まこピをイメージして作ってみる」

舞は承知をした。いつの間にか舞は誠のことを『まこピと呼んでいた。
何日か経って、舞から完成したと連絡が届いた。出来上がったホームページは舞のものと同じで黒を基調としていた。トップには『SANCTUARY』の文字が書かれていて、文字の両端には小さなペガサスのイラストが施してあった。サンクチュアリ(聖域)が舞が持つ誠のイメージなのだと知った。誠はこのホームページに自分の思いを書き込むページを作った。そしてそこに、直接には伝えられない舞へのメッセージを書いた。

「京都の古寺に紅葉狩りに訪れた。境内の燃える様に真っ赤に色づいた紅葉が、「あなた」に対する私の心模様の様だ」

という内容を書いた。
春には

「麗らかな春の陽気の中で、大好きな桜の開花を心待ちにしている「あなた」の笑顔が目に浮かびます」

という内容を書いた。
まだまだ舞への思いに苦しむ時はあったが、徐々に”穏やかな愛”に変わりつつあった。

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第八章「再会」