ある晴れた夏の日に 第二章「兎」

その年の桜の咲く頃
誠の趣味はインターネットでホームページ巡りをすることだった。ある夜、いつものようにパソコンで個人ホームページサイトを見て回っていた誠は『兎』という管理者のホームページに辿り着いた。そのページは白と黄色の配色で作られていて、華やかで楽し気で誠の気を引きつけた。誠はそのページに暫く留まりページの中を見て回った。『兎』のページはプロフィールのページと掲示板、面白い画像を投稿するページ、相互リンクをしている先のリンク集、日記、そして管理者への私書箱が設置されている。プロフィールを見ると『兎』は群馬県に住む女性である事が分かった。誠はまたこのホームページを訪れようとブックマークに登録しておいた。
数日が経って、また『兎』のホームページを訪れた誠は、新しいページが追加されている事に気づいた。誠は少し興味が湧いて前のめりでページを開いた。そのページには管理者である『兎』の顔写真が載せてあった。誠はその顔写真を見た瞬間に、衝撃で座っている椅子の背もたれまで体を仰け反らせた。写真は管理者『兎』の泣き顔、厳密に言うと泣き終わって、目を真っ赤にしている悲し気な顔だったのだ。だが誠にはその『兎』の顔がとても美しく見えた。

「この人は何故泣いているんだろう」

そう気になった誠は次の日も『兎』のページでその写真を見つめた。

「綺麗な人だ」

数日後、『兎』の写真は別の写真に更新された。今度は大口を開けて笑っている顔写真だった。誠は写真に写る『兎』にまた引きつけられた。

「この人はこんな感じで笑うんだ」

見ているだけでも楽しい気分にさせる『兎』の笑い顔に「この人の隣に居て一緒に笑えたら楽しいんだろうな」と、モニターに写る『兎』に対して一段と興味が沸いた。
それから写真は三日おきに更新されるようになった。笑った顔、澄ました顔、いつしか誠は写真に写る『兎』に恋心をおぼえた。
『兎』のホームページの日記はたまに更新される。「庭の桜の木をライトアップしてみた」とか「今年子供が一年生になったら、家庭訪問もある」とか『兎』は身近な出来事を書いている事が多い。それは少しほのぼのとした日常を伺わせた。誠は日記を読むにつれ『兎』の人物像がわかってきた。『兎』は二十代半ばでシングルマザーである事もわかった。母親と祖母と同居している。
誠は『兎』とコンタクトを取りたいと思った。恋をした「兎」と何かしらの繋がりを持てれば良いと思い、浮ついた気持ちで『兎』の私書箱にメッセージを送る。『兎』からの返信は早かった。

「あなたは私の知っている人ですか? 私に嫌なことをする人ですか?」

と送られてきた。誠は直ぐ様

「あなたに嫌なことをしようなどと考えていません。あなたのホームページが素敵だったのでメッセージを送りました」

と答える。すると『兎』は少し気を許したようで、柔らかな文面のメッセージを返してくれた。その日、何度かのメッセージをやり取りして分かったのは、『兎』は最近体調を悪くしていて、今は病院に検査入院をしていることだった。
それから数日間は私書箱を通して何度かのメッセージを送りあった。誠は『兎』との交流に穏やかな心の高揚を楽しんだ。
そんなある日、『兎』はホームページの日記に自分が慢性白血病と診断された事を書いた。そして、『兎』の病気に対する悲痛な思いが書き連ねられた。その後ホームページの更新が無くなり、『兎』のホームページは私書箱を残し全て削除されて閉鎖同然になってしまったのだ。誠は『兎』の事が気掛かりで仕方がなかった。

「あの人は今どうしているんだろう」

誠はまた私書箱を使って連絡を取ろうかとも考えたが

「私が心配したところでどうなる、彼女を労わるのか、励ますのか、そんな事をしても「あなたは私の何、いったい私の何が分かるの」と、返って彼女の気持ちを荒げてしまうのではないのか」

そう思うと誠には何も出来る事は無かった。それは、もう桜の花が散り終わる頃だった。

誠は、滋賀県で電気工事店を経営している。年齢は三十五歳だ。一つ年下の妻の幸子との夫婦仲は良く、中学生と小学生の男の子との四人家族だ。子供二人は共に地元のサッカーチームに入っている。毎週日曜日の練習には誠も一緒に行ってチームの雑用などを手伝う事も多い。幸せな家庭を築いていた。ただ、少し平凡な生活の中で何か変化を求める気持ちも持っていた。それでも、この幸せな家庭を壊す事などは考えていないし、そんな勇気も誠には無い。唯一そんな誠の気晴らしになっているのがメル友との交流だった。誠には男女を問わずメル友が多くいる。そのほとんどのメル友は顔さえ知らない相手だ。その他にもグループ名とパスワードさえ知っていれば誰でも参加出来るチャットルームの様なグループメールに参加して、会話を楽しむことも好きだった。当時のネット上には、そんなグループメールのメンバーを募集している掲示板が多くあり、グループ自体も山ほどあった。

六月に入った頃、誠のところに舞と名乗る女性からメールが届いた。誠には舞という名前のメル友はいないし、知人の中にもいない。たまに迷惑メールも届くので、その類なら無視をしようかとも思ったのだが、少し探りを入れてから判断しようと決めた。

「あなたは私の知っている人ですか?」

と返信した。これは『兎』が誠に初めて送った時のメールの文章だ。誠は『兎』の事を思い出しながら舞からの返信を待った。舞の返事は早かった。

「私は少し記憶を失っている期間があって、その頃にあなたとメールを交換しているようです」

と言うのだ。誠はどんな内容のメールを交換していたのかを確認した。するとそれは『兎』とメッセージを交わした内容だった。舞は紛れもなく『兎』なのだ。どうやら『兎』は慢性白血病と診断された時の前後の記憶が曖昧になっているのだった。その日から誠と舞は頻繁に連絡を取るようになった。

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第三章「機会」